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久能山東照宮

この間、静岡の久能山にある、久能山東照宮にいってきました!

 

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久能山の歴史についてお話します。

 

久能山は、大昔、日本平とともに平野でしたが、その後隆起によって出来たもので、長い年月の間に侵食作用のため堅い部分のみのこり、現在のような山になりました。

 

高さ270メートル前面は眼下に駿河湾を見下ろし、東は近くに伊豆半島を、西は遥かに御前崎を一望できる素晴らしい風景です。

 

久能山は、推古天皇の時(西紀600年ごろ)、久能忠仁が初めて山を開き、一寺を建て観音菩薩を安置し、補陀落産久能寺と称したとあり、久能山の名称もこれから起こったといわれています。

 

 

その後、僧行基を始め、多くの名僧等が相次いで来たり住んだりし、建物の数も非常にたくさんでしたが、嘉禄年間(1225年頃)、山火事によって燃え、昔の面影はなくなりました。

 

永禄11年(1568年)武田信玄は山が原因で火事になったことを聞き、久能寺を近くの北矢部(清水区 今の鉄舟寺)に移し、山上に城砦を設け、久能城と名付けました。

 

天正10年(1582年)武田氏が亡くなり、駿河の国一帯が徳川氏の領有するところとなったので、久能残も、自然と徳川氏のものとなりました。

 

元和2年(1616年)4月17日、家康公の亡くなったあと、久能城を廃止し、東照宮を建て、現在に至っています。

 

 

 

久能山東照宮の由来

 

家康公は天文11年(1542年)12月26日、三河国岡崎城(愛知県岡崎市)に生まれます。あらゆる艱難辛苦の末、戦国時代に終止符を打ち、江戸時代260年にわたる、長期平和の基礎を打ち立てられ、学問、産業、文化の基礎を確立し、晩年は駿府城に隠居されましたが、元和2年(1616年)4月17日、75歳でなくなります。

遺書より、その夜当山に葬られ、その後東照神君として平和、開運、学問、厄除けの神として祀られています。

 

 久能山東照宮の石段は、1159段あることで有名です!!

 


 

久能山下側にある石鳥居から数えて1159段の段数を誇り、1159の数字に文字が当てられ「いちいちご苦労さん」と呼ばれています。

静岡鉄道日本平ロープウェイが開通(昭和32年)するまでは、この石段のみが東照宮への参拝路でした。

階段をのぼるのはとても疲れましたが、のぼりながら見る景色は、絶景でした☆

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