news

商売繁盛のお寺、光明寺に行ってきました!!!

パワースポット☆商売繁盛はここへ!! 日本一大きな大黒様が 祀られている商売繁盛のお寺 光明寺へ

20171122_122347

20171122_122601

20171122_205642

 

光明山の創立

今から2000余年前、養老元年(717年)行基上人が光明山中に入り、摩利支天の神託を受けるなど数々の霊験に接して、このことを時の帝元正天王に申し上げ、皇室の祈願所とされることをお勧めしたところ、天皇は深く叡慮の上遠江の国司に諸堂を建立するように命じられ、行基は本尊三満虚空蔵菩薩、奥之院摩利支真天、十一面観音世音菩薩の三尊像を刻みこれを祀って光明寺を開創したと伝えられる由緒ある古刹であり秋葉山・春埜山と共に北遠三霊山の1つとしても知られています。

 

本尊三満虚空蔵大菩薩

   光明山の本尊は三満虚空蔵大菩薩と申します。この虚空蔵大菩薩は、智を満たし、福を満たし、威信を満たすというご利益のあることから、三満虚空蔵大菩薩と呼ばれる京都の智福山法輪寺、伊勢の勝峰山金剛証寺と共に日本三虚空蔵菩薩として知られています。

 

鎮守政一位光明笠鋒坊大権現と七十五膳献供の神事

行基上人に当山を任せられた最博が姿を消して後10年、再び最傳数多の眷属と共に姿を現し当時の住僧霊澄に「我は常に此の山に住して永遠に衆生を利済せん」と告げ、

霊に隠れて何処へか去って行きました。これが世に光明の大天狗と呼ばれ、遠州五坊、

日本七十五坊の1つ、正一位光明笠鋒坊大権現です。天平9年(737年)遠江の国司

草壁王子は天竜川に棲む大蛇を退治しようと笠鋒坊権現に七十五膳を献じ、萬願成就したことから当山の七十五膳献供の御神事が始まりました。遠州地方のいくつかの寺院に伝わる七十五膳の献供の御神事に根元です。現在も10月の最終土曜日大祭の夜行われております。

 

奥之院三宝摩利支真天と家康公の光明勝栗

  光明山の摩利支天は古くから厄難解除けとして、又戦の守護神として各武将の敬信と庇護を受け、延暦年間に坂上田村磨公南北朝時代の宗良親王等が戦勝の祈願に参竜していました。戦国時代に入って今川義元公も深く帰依、又徳川家康公とは甲州武田勝頼が当山に陣を構え浜松城を攻めんと企てた際、当時の住職高継和尚が遣いを浜松城に発し、家康は一挙に武田勢を追討しました。これが赤豆坂の合戦というものです。

 その後、高継和尚は乾栗を呈して戦の労を慰め、家康公これを光明乾栗則ち功名勝操の兆候と大いに喜び奥之院に天下大平の祈願をし、その後高継和尚を伏見城に呼び、出陣の際自らの兜の内に入れて守神とした弘法大師作一寸二分丈の摩利支天像を光明山奥之院に合祀するように命じ、そして光明山を徳川家代々の祈願所とするよう朱印を賜り、以後徳川歴代将軍の手厚い保護を受けることになりました。

IMG_9251

 

 

遠州福の神 開運出世光明大黒真天

 嘉永5年2月9日朝の勧経の際、末席にいた若い僧侶が突然に奇声をあげて「我は光明山鎮守笠鋒坊大権現なり。速やかに摩訶迦羅神王(大黒天)像を祀り、国民の福祉鎮安を祈請すべし」と叫び終えると再び平常に戻りました。

 これを見た当時の住職碓山和尚は、大黒殿を建立し泰安しました。現在の大黒天は昭和12年に仏師岡田天孝作の高さ一丈三尺五寸、木像では日本一大きな大黒天像がお祀りされておりその胎内仏として日蓮上人作の三面大黒天が納められています、1月の第三日曜日が初甲子(大黒様の縁日)の大祭となっております。

IMG_9253 

 

ここは金運、商売繁盛に強いといわれ、会社やお店を経営してるひとに良いようです。 お陰様で順調です!

20171122_205712

光明山光明寺は 自然に囲まれ癒される景色でした。通常車を停めて階段を上りますが、足が悪い人も、左側から車で直接上がっていけるので安心です。 今の時期は紅葉も見頃で、楽しみながら参拝できます。 金色に輝く大黒真天像 凄い迫力でした! お札も買いました。 皆様に良いことが訪れますように